セミの声で見る『若き日の唄は忘れじ』

山の日に、雪組中日劇場版『若き日の唄は忘れじ』(壮一帆主演)を観ました。

タカラヅカファンの方にはおなじみですが、藤沢周平さんの「蟬しぐれ」(文春文庫刊)の宝塚歌劇版で、初演は1994年、星組で紫苑ゆう、白城あやかのトップコンビが文四郎とふくを演じ、2013年には中日劇場で壮一帆、愛加あゆが演じました。二人のトップお披露目公演でした(その後、全国ツアーでも続演)。

なぜ今『若き日の唄は忘れじ』なのかというと、壮さんがファンクラブの会員に宛てて、ときどき気が向くと(笑)手書きのメッセージをアップしてくれるのですが、ちょうど、最新版の書き出しが、宝塚と東京ではセミの鳴き声が違うことに気づいたという話になっていて、ちょっとセミの鳴き声について調べているうちに、『若き日の唄は忘れじ』のセミはミンミンゼミだったなと思い、ちょうど季節もぴったりだし、よし、見てみようとなったわけです。

ディナー&トークショーでも、山形を旅したという話を聞いたばかり。山形の食べ物と風景が好きで、『若き日の唄は忘れじ』を見てから、いっそうその思いは募っていたのですが、壮さんに先越されちゃった(笑)。今年の夏はもう無理かもしれないけれど、山形を旅してみたいなあ。来年こそ。

ところで『若き日の唄は忘れじ』です。

これが、今見ると、とりわけ今の季節に見ると、とってもいいのです。夏のまっさかり、お盆の時期というのもあるし、「蟬しぐれ」が、若き日の恋を思い出すという物語なので、タカラヅカ時代の壮さんの思い出とリンクするし、お盆だし、いっそう胸に来る。

それに、『一夢庵風流記 前田慶次』もそうだったけど、改めて見ると、背景やふくの着物の柄、年中行事、鳥や虫、雨の音など、本当に繊細に季節を拾っていることにも気づきます。

そしてもちろん、壮さんの文四郎さんがすてき。近頃タカラヅカでは、何かと日本物が多く上演されているけれど(日本物だと、どこかから補助金でも出るんだろうか(笑))、こういう湿度のある、情感豊かな純日本物というと、やっぱり雪組の独壇場で、『若き日の唄は忘れじ』『心中・恋の大和路』『一夢庵風流記 前田慶次』『星逢一夜』と続く四作品はやはり素晴らしかったと、ちょっと得意になったりして…。素晴らしいのは雪組で、ファンのわたしが得意になる理由はまったくないんですけどね ^ ^

話がそれた。セミの話でした。

『若き日の唄は忘れじ』で最初にセミの声が聞こえるのは、七夕が過ぎて、文四郎の父が捕らえられ、その沙汰を聞きに龍興寺に行ったとき。

ミーンミンミンミンミン…

ミーンミンミンミンミン…

これはミンミンゼミです。父を心配する文四郎のドキドキ感をドラマチックに煽るように鳴いていました。

次が、父と対面し、何も言えなかったと、ちぎちゃん演ずる逸平に告げるせつない場面にもセミが鳴いていました。

カナカナカナカナカナ…

ヒグラシの鳴き声です。

折しもきょうは8月13日。七十二候の「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」にあたります(8月12日から16日まで)。ヒグラシという名前は、日暮れに鳴くことからつけられたもので、鳴くのは早朝と夕暮れ。日中は鳴かないそうです。

逸平さんと話したのも夕暮れ。文四郎のことを気づかって、でも、お勤めを終えて訪ねてくれたんだろうか、なんて考えたり。夏の終わりを感じさせるようなせつない鳴き声がしっくりくる。いい場面です。

昼過ぎの文四郎がたった一人、父の亡骸を運ぶ場面に鳴いていたのは…。

ジージージージージージー…

アブラゼミでしょうか。都心部ではクマゼミが優勢で、めっきり減ってしまったというけれど、文四郎さんたちのいた時代の山形だもの。

正午過ぎの焼け付くような日差しの中、あざけりの声が響き、早く運ばなくてはという文四郎の苛立ちを表現したような、ジリジリするようなうっぷんを感じさせた鳴き声でした。

そして、二十年後の夏。今は助左衛門を名乗る文四郎が、出家をするふくの逗留する湯宿を訪ねるラストシーン。二人の感情が静かに高まっていく場面で聞こえてきたのは、

カナカナカナカナカナ…

再びヒグラシの鳴き声でした。これがせつなかった。絶妙のタイミングで、鳴くのです。二人のこれまでの夏を惜しむように…。

原作である藤沢周平の小説も、この最終章は「蝉しぐれ」と名づけられていました。

《 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供の頃に住んだ矢場町や街のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。

馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た》

(藤沢周平「蝉しぐれ」より)

この余韻…。初演の脚本と演出を手がけた大関弘政先生は、この蝉の鳴き声も、ていねいに選んで、入れていかれたのだろうなあ。

見ている間も、セミの声には気づいていたつもりだったけど、改めて追ってみると、細やかな演出の妙に気づかされます。

日本物ってやっぱりいい。壮さんもこれから先、また藤沢周平の作品に出たりすることがあるだろうか。あるといいな。ううん、きっとあると思う。

考えてみると、日本の「お盆」の風習って面白いですね。死んだ祖先たちが帰って来て、盆踊りなんかしちゃうんだもの。メキシコの「死者の日」とか、面白いお祭りが世界にはたくさんあるけど、日本のお盆も面白すぎる。子供のころに、「お盆になると、死んだご先祖さん、おじいちゃんやおばあちゃんがみんな帰ってくるんだよ」と聞かされたときの衝撃を思い出しました(笑)。

来年のお盆も、また 『若き日の唄は忘れじ』を見よう。

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