『魔都夜曲』(一)*ラ・ラ・ランド上海――軍服と麗人と笑顔と

※注意【ネタバレしています】

シアターコクーンで『魔都夜曲』が上演中です。

キューブ20周年の記念作品らしく、所属の役者さんたちが勢ぞろい。さらに、外部からの応援もあり、壮さんが「鼻血が出そうな人たちばかり」と言ったくらい(笑)、花も実もある役者さんばかり。それぞれに見どころが用意されていい、退屈する時間などないお祭り的な娯楽作に仕上がっています。

舞台は、1939年(昭和14年)、第二次世界大戦前夜の中国・上海。魔の棲む都――「魔都」と呼ばれた、退廃と怨念が立ち籠めた時代に生きた人々を、日本の貴公子、白河清隆(藤木直人)と、中国人と日本人の間に生まれた女性、紅花(フォンファ)(マイコ)との恋物語を主軸にして描いたもの。「音楽“劇”」というからには、もっと物語に厚みがほしかったし、闇の部分にも踏み込んでもらいたかったけれど、そこは観た人の劇を読む力にゆだね、最後はひとまずの形でハッピーエンドを迎えます。

この戯曲なら、正直、ミュージカルにするか、ソングナンバーにオリジナルを増やしたほうが座りがよかっただろうとは思いました(あるいは宝塚歌劇か(笑))。けれど、限られたセリフで、あの時代の上海にいた、訳ありな人たちをきちんと描いているのはさすがだったし、まあ、ミュージカルにしたら、歌合戦になっちゃいますからね。舞台裏の事情を読みすぎるのは無粋だけれど、俳優、ミュージカル俳優、ミュージシャン、アイドルと、さまざまなアーティストをそろえるキューブという事務所の立ち位置を示すという意味でも、ミュージカルではなく「音楽劇」である必要があったのでしょう。

あえてハッピーなエンディングにしたのも、キューブのエンターテインメントに対する意思を示したものとも考えられます。そもそも、登場人物たちのその先にハッピーが待っているわけではないことは、歴史を思い出せば、最初から分かっていること。戯曲を書いたマキノノゾミは、リアルな劇にも、重く暗い劇にもせず、映画の『ラ・ラ・ランド』よろしく、舞台の魔法を振りかけて、ハッピーな気分のまま、幕を下ろさせました。いまの日本や世界に、あの時代、大戦前夜の上海と同じく、戦争の影がたちこめているからこその、「非戦」のメッセージであるのかもしれません。

例えば、ジャズクラブ「ル・パシフィーク」の支配人、新田日出夫(橋本さとし)は、劇中、こんな言葉を発します。

「ここに来るお客さんには上機嫌でいてほしい」

「この店にいる間は笑っていてほしい」

このジャズクラブは、「楽園(ル・パラディ)」でもあり、「劇場」でもあるのでしょう。

上海に住みついた日本人医師(村井國夫)も、「戦争なんか、くだらない連中がいばり散らしてるだけだ」なんて、小津安二郎みたいなことを言ってのけます。小津が日常を舞台にした映画を撮り続けたように、ハッピーエンドの物語とすることで、戦争に対するノーを示しているのじゃないかなあ。

ネタバレになっちゃいますけど、劇中、しかつめらしい顔をした帝国日本軍人たちが、軍人ソング「可愛いスーちゃん」を歌わせられる場面なんか、まさにそれでしょう。この歌が歌われているときのいたたまれなさは、日本に生きる者として心にとめておかなくてはならないものだと思います。

それはそれとして、あの場面の壮さんです!

いつもは男装をしている川島芳子(壮一帆)が、最高にゴージャスで妖艶なチャイナドレスをまとって、いばり散らした帝国日本軍人たちを辱める小気味よさったら!(そして、ああいうふるまいをする壮さんの輝き!) 日本の軍人たちに踏みにじられた、女性や中国人たちにかわって、芳子がささやかな復讐をしているように思えます。

壮さんの川島芳子。観る前から似合うだろうとは思っていたけど、ここまで美丈夫で色気のある芳子になっていようとは。

物語の主旋律はあくまでも白河清隆とフォンファの恋物語なので、場面は多くはないけれど、どの場面のどんな小さな仕草も、芳子の行動や心のうちと結びついたもので、最後には胸のすくような見せ場が用意されていました。川島芳子、甘粕正彦、李香蘭といった実在する人物はもちろん、劇中に登場するすべての登場人物が、名前は残っていなくても、あの時代を生きた歴史上の人物です。そして、誰もが、戦争に疑問を持っている。あの時代を生きた人々に、マキノノゾミさんが特別な思い入れを持っているのではと感じました。でも、タカラヅカの外では当たり前のことかな。

そんな時代に生きた川島芳子を、壮さんは舞台上で微細に表現していたと思います。

観る前に懸念していたのは、世間の人たちがイメージするところの「宝塚の男役っぽい」川島芳子になってしまわないかということでした。

タカラヅカの男役がバラエティ番組などで面白おかしくやってみせるような、誇張した男役の型で演じてしまったら、それこそ浮いてしまうし、「宝塚だねえ」で終わってしまう。壮さんのインタビューなどを見ても、そのあたりに苦心したようだけれど、男役でも、記号としての川島芳子ではなく、『魔都夜曲』の中の「男装の麗人」川島芳子として、そこにいたと思います。

それにはまず、見た目の説得力、芳子の衣装が似合うことが必要。スーツ、軍服、チャイナドレスの三変化が、どれをとっても文句のない「麗人」ぶりでした。

最初に川島芳子として登場するのはスーツ姿。現れるときは、決まって一人というのがいいんです。「一人だけど、いいかい?」なんて言って、ル・パシフィークに入って来ます。宝塚時代とはメイクも着こなしも違うので、憂愁や色香をたたえた高畠華宵の描いた美少年にも見えてドキドキします。

このスーツ姿、どことなく花組二番手時代の『愛のプレリュード』のジョセフを思い起こさせるところも。「よせよ…」なんて言い出したり、ポケットから懐中時計を取り出したりするのじゃないかと想像してみるのはなかなか楽しいことです(笑)。

次が軍服です。

軍服はキライです。戦争にノーを唱える一人としては、芝居上の理由なしに、よきものとして軍服それ自体を愛でる気にはならない。とくに、ナチス親衛隊のこの時代の侵略戦争をしていた日本の軍服は肯定してはいけないという強い思いがあります。

しかし、それを忘れるわけではないのに、美しいだとかカッコいいだとか思ってしまう。川島芳子の軍服姿には、たやすく屈してしまう。とても苦しめられました。もはや、映画『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングを見ているようでした(笑)。

芳子はどんな気持ちでこの軍服をまとったのだろうと、ふと思う。もちろん考えてみても分からないことだけれど、個人的な好みとしては、「こんな軍の服一つで、周囲の態度は変わるのだ」くらいの気持ちでいてくれたら素敵だと思う。

まだ幼い李香蘭(高嶋菜七/浜崎香帆)を芳子がエスコートする場面にはため息が出ました。「ヨコちゃん」「お兄さん」と呼び合い、同じ名前で、似た境遇の二人の間には、誰も入ってこられない親密な空気があって、川島芳子のもう一つの表情を見たようで。欲をいえば、いっそ「歌う川島芳子」を見たかったところだけど、それをさせなかったところに『魔都夜曲』らしさがあるのだと理解しました(宝塚歌劇なら、ほぼ100%歌わせるところ(笑))。

それでも、終盤のある場面で、その願いは叶えられるのですが…。あの場面、大好き。

最後の衣装がチャイナドレスです。

『魔都夜曲』の川島芳子のためだけに用意された、この深紅のドレスがとても艶やか。肩を出し、体型を強調したゴージャスなデザインでありながら、女性ではなく、「麗人」と呼べる人だけが醸し出せるすごみのある色香と、清朝王女の気品を漂わせるのはさすがとしかいえません。

エスコート役は、いかにも訳ありなル・パシフィークの支配人、新田日出夫。新田の、いや、さとしさんの素敵なこと。あの、誰も寄せ付けない謎の麗人オーラを振りまく川島芳子に、「あんた、きっと、笑ったほうが100倍素敵だ」なんて言ってしまったり(そのときは川島芳子と分かってはいなかったのだけど)、実際に笑顔にし、川島芳子と知ってなお正面から口説きにいけるほどの肝の座った男を演じられるのは、さとしさんだからでしょう(笑)。

(100倍とまではいわないけれど、チャイナドレス姿の壮さんがいっそう艶やかに見えるのはさとしさんのおかげです)

そして、新田日出夫の過去が気になる(笑)。キューブ様、どうか、壮さんの川島芳子で一作!

壮さんの芳子が、チャイナドレスを着て登場したら、ここから『魔都夜曲』の上海は、「楽園」に、「ラ・ラ・ランド上海」に変わります。これぞ、演劇の嘘。

どんな時代にあっても、ジャズクラブや劇場のような楽園をつくろうとしてくれる、たくさんの支配人たちにも感謝を。

 

 

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