終わりのない旅*『WILDe BEAUTY オスカー・ワイルド 、或いは幸せの王子』

もう今日が千穐楽とか。『WILDe BEAUTY』が、台風のように、あっという間に通り過ぎて行ってしまう。

一度観てしまったら最後、こうなのかもしれない、ああだったかもしれないと、思いがふくらんでいって終わりがない。ずっしりと心に残って、見終わってから、自分が観たもの以上の何かに育っていくような恐ろしい作品です。まさに怪物の物語。

二時間半の舞台は、オスカー・ワイルドという題材といいい、斉藤恒吉さんとのコラボといい、正調オギーワールドといったふう。舞台づくりの手法と世界観に、タカラヅカで観た作品やキャラクターが頭をよぎったりもするけれど、タカラヅカ時代の作品と、この『WILDe BEAUTY』とは、似ているようでずいぶん違う。

そもそもオスカー・ワイルド自身が愛と汚辱にまみれた人物だし、作者の視点はシニカルかつ自虐的だし。人の下世話さや街の猥雑さ、そして人と人との関係性、夢と現実…。『WILDe BEAUTY』は、きれい事ではないところにずんずん踏み込んでいく。宝塚歌劇が描いてきた「美の世界」では全然ない。でも、それが「美」なのだろう。オスカー・ワイルドが生涯をかけて捕らえた。

荻田先生がタカラヅカを退団すると知ったときは本当にショックだったけれど(壮さんにもっともっと出てもらいたかった。当時、そう思わない贔屓もちはいなかったんじゃないかな)、あの劇団にとどまらなかった理由を見た思いもある。

久しぶりにオスカー・ワイルドの本をひっぱり出して、読んでみた。

『幸福な王子』は大好きな作品だ。王子が出てくるたくさんのおとぎ話のうち、好きな話はいくつかあるけれど、「王子」という言葉を口にするときにはいつもこの『幸福な王子』を思う。サファイアの目と、赤いルビーのついた刀をもつ、この王子の童話に、もう一つの意味があると気付いたのは、大人になって、オスカー・ワイルドを読み、彼がどんな人物だったかを知ってから。以来、何度読んでも涙がこぼれてしまう、特別な童話になった。

「オスカー・ワイルド 、或いは幸せの王子」というサブタイトルを見た瞬間に、もう頭の中にストーリーが出来上がっていたくらい(笑)、『WILDe BEAUTY』に壮さんが出てくれることがうれしかった。

オスカー・ワイルドの複雑な内面を評言するためか、オスカーは二人で演じられている。《オスカー・ワイルドの幻想》を東山義久さん、《オスカー・ワイルドの現実》を咲山類さん。東山さんは、オスカーが愛した《アルフレッド・ダグラス》も演じた。どちらも本当に見事。表現していくうえでの「美しさ」ということをつねに考えている人たちだからだと思う。

壮さんの役はオスカー・ワイルドの《死神、或いは天使》、そして、オスカーの妻・コンスタンスと、若き日の恋人だったフローレンス。

壮さんが歌う「幸せの王子」の歌がとてもいい。本当は、劇中劇で「幸せの王子」が演じられるに違いないと思っていたから、そこは少し残念だったけれど、お話はこの歌のなかにあるし、わたしのなかではもう、壮さん自身が「幸せの王子」でもあるということになっているから、全然問題はない。

壮さんの《死神、或いは天使》は、この作品のコンダクターのような役目も果たす。この死神さんが自由気ままでチャーミング。ときどきで、妻であり、恋人であり、オスカー自身になったりもするし、オスカーの関わりのある人たちとも接触してしまう。

でも、オスカーからは見えない。死を迫って追いつめていくようなこともないし、何かを仕掛けることもない。あくまでも傍観者だ。

演者としては、この死神はやりにくかったと思う。ほかの登場人物たちとのように、オスカーと会話をする時間がない。オスカーの人生に、直接的にはあまり関与しないから。

これはつまり、オスカーが本質的に「生きたい」人ということを表しているのかもしれない。唯美主義者といわれるけれど、現実のなかの美を探し求めていたのだと思う。
だから壮さんの死神/天使は、面白そうにオスカーの人生を眺めているのかな。

「死神」という言葉から、わたしはもっと冷たい、氷の女王のようなイメージをあてはめようとしていたけど、荻田先生のなかでは壮さんはこういう存在なのかもしれません。

そういえば『カナリア』で壮さんは、《悪魔、或いは天使》という役を演じたのだった。あの悪魔も、なりゆき任せで楽しかった。ちなみにあの作品は、ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』からの発想らしいです。

オスカー・ワイルドの『獄中記』を読み返して、そのあたりのことが腑に落ちた。

『獄中記』は、獄中のオスカーが、アルフレッド・ダグラスに宛てた書簡。託されたロバート・ロスが、一部の記述を省いて、オスカーの死後5年たってから出版した(そういう約束だったらしい)。ここには、厳しい獄中生活のなかにあってさえ、「人としての美しい生き方」を求め続ける姿が綴られている。アルフレッド・ダグラスに宛てて(なんて重く美しいラブレター!)。

『獄中記』の最後のほうで、オスカーはこう綴ってる。

《万事好都合に運んだら、私は五月の末頃には釈放される筈である。そうしたら私は直ちに、R君やM君と一緒に、どこか外国の小さな海岸の村へでも行ってみたいと思っている。海は、ユーリピデスがイフィゲニアについての戯曲の一つのなかで言っているように、この世の世界と汚れと痛手とを洗い去ってくれる》

五月の海。オスカーが夢に見た海は、天国のようだったんだろうなあ。
『獄中記』を読むと、オスカーは最後には、海や花や星や風や水といった、自然の中に美と救いを求めたのがよく分かる。なぜ、百合の花を手にしていたのかも。

昔、この本を読んだときには、この海が見えていなかったなと思う。

ラストシーンの船の場面が思い出される。最後に出てくる壮さんの天使は、あれは海だったのかもしれない。

オスカーと妹(大月さゆちゃん)の場面。ビアズリー(中塚晄平)と姉(大月さゆちゃん)の場面。オスカーとサラ・ベルナール(小野妃香里さん)の場面。そして、それぞれに個性的だったDIAMOND☆DOGSの人たち(アイソラの暗黒舞踏、カッコよかった)。皆さん、素晴らしかった。

そして音楽も。壮さんはじめ、歌い込めば、もっともっとゴージャスになるだろうなと思うと、やっぱり「も・っ・た・い・な・い」と思わざるを得ない。たった6日間で終わってしまう舞台に、どれだけのものがつぎ込まれているんだと考えるとクラクラする。ほんと、効率よくないし、大変だし、上演にもエネルギーがいるし。でも、だから「美」なのでしょうね。

含まれている毒も含め、美しい舞台だった。とても贅沢な時間だった。

そして、忘れられない舞台になる(なった)。

《あらゆる宣告が死の宣告であると同時に、あらゆる審問は生命の審問である》  オスカー・ワイルド『獄中記』より

<出演>
東山義久
小野妃香里 大月さゆ
森新吾 小寺利光 中塚皓平 和田泰右 咲山類 TAKA
壮一帆
<スタッフ>
脚本・作詞・演出:荻田浩一
音楽:斉藤恒芳

音楽監督・歌唱指導:福井小百合

主催・企画・製作:M・G・H
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