チャーミングなひとたち*『扉の向こう側』(4)

※写真はテキストに関係ありません(雑誌『@Premium』の表紙。『地下鉄のザジ』のスチール)

プレイハウスでの千穐楽を前に、戯曲(『アラン・エイクボーン戯曲集』所収)を読んでいてハッとした。壮一帆さんの演じたフィービー/プーペイの役名が、ずっとプーペイだったのだ。

SMの女王様としてホテルにやってくるときはもちろん、最後、もう一人のフィービーとして扉の向こう側に消えて行くまで、ずっと。

これは何を意味するんだろう。この扉の先にも、まだ扉があって、もう一つの現実が待っているということだろうか。ちょっと目を覚まさせられる、こんなところも英国芝居「らしさ」かもしれない。

でも、わたしが観ていた『扉の向こう側』は、やっぱり「フィービーのお話」だ。「プーペイのお話」じゃなくて。壮さんもそんなふうに演じていたのじゃないかな。もちろん想像だけど。

この戯曲、本当に上手く出来ているなあと感心するのだけど、実際の舞台を見て面白いと思うのは、必ずしも戯曲に書かれていることではない。フィービーの動きや仕草だったり、表情だったり、役者同士の作り出す空気だったり…、セリフに書かれていない部分が圧倒的に面白いのだ(ここがミュージカルと違うところかな)。

書かれたセリフを言いながら、書かれていないことを演じていく。吉原光夫さんがニコ生の放送で、「こんなにクリエイティブな現場になるとは思っていなかった」と言っていたけど(やっつけ仕事的に思っていたのかもしれない(笑))、本当にみんなで作り上げた作品だったのだと思う。

戯曲を読み解いていく面白さが詰まっていた。壮さんはタカラヅカ時代も、いわゆる「役作り」を得意とするタイプだったけれど、ここでの体験はそれとはまたちょっと違っていたんじゃないかと想像する。そして、それをとても楽しんだのではないかと。

そのことは、ほかならぬ「舞台」に現れていたと思う。壮さんのフィービーは、いつも違うフィービーだった(ときにはプーペイだったのかも)。

壮さんだけではない。ルエラ(一路真輝)はいつも、驚くほど新鮮に誰かの言葉や状況に素直に反応していた。リース(吉原光夫)も違ったなあ。食えないじいさんだったり、かわいいじいさんだったりしたけど、いいパパになったリースは同じ人が演じているなんて思えなかったくらい包容力があった。ジュリアン(岸祐二)は震え上がるほどの悪役だったし、死体役も、死に方も岸さんだからここまでできたんだろうとうならせる素晴らしい出来。ジェシカ(紺野まひる)は、なんといってもジュリアンの母親を演じる場面が大好きで、ハロルド(泉見洋平)との芝居が妙に逢っていて楽しかった。ハロルドって、本当にお客様第一主義で、高級ホテルの裏側の部分を体現していて、ストレートプレイが初めてだなんて思えない安定感だった。

*     *     *

ここまで書いて、公開するより先に東京芸術劇場 プレイハウス千穐楽を迎えてしまったのだけど、今日の『扉の向こう側』が、「プーペイのお話」になっていて驚いてしまった。

正確に書くと、一幕の1936年のホテルではプーペイ、1916年ではフィービーで、ラストがすべて一体となった超フィービーといったところかな。わたしには、壮さんが客観性をもって演じているように映った。具体的には、どの場面でも、相手の言葉にリアクションをするのではなくて、相手がなぜそう言うかを理解した上で役としてリアクションしている感じ(あくまでも、わたしの印象)。

だからちょっと大人の味付けというか、一般の方が見ても分かりやすいようなプーペイであり、フィービーだったと思う。コメディ映画に登場する陽気な娼婦みたいな感じがよく出ていて、説得力があった。食えないじいさんなんかが思わず気を許して、いろいろ身の上話をしてしまうのは、大体がこういう、陽気で気のいい、おっかさん的な下世話なところのある女なのだ。

皆さんよく知っているとおり、壮さんは、セクシーなタイプでは全然ない(笑)。でも、不思議と今夜のプーペイは、モンローやブリジット・バルドーに通ずる、セクシーなかわいさがあった。あのブロンドのカツラもしみじみと似合うなあと見入ってしまった。それとも単純に、あのコスチュームにもやっとなじんできたとか?(笑)

かと思うと、ルエラとの場面では、ママのいうことを一生懸命に聞いてがんばる少女みたいで、それがまたせつなくてせつなくて(新聞の場面ではいつも、新聞の広告を見ては、架空の家族を想像していた小さなフィービーのことを想像してしまう…)。

最後のエピローグ。リースとフィービーの場面もとても沁みた。

未来的な? 古めかしい? 白のワンピースを着たフィービーが、家族のアルバムを抱きしめてホテルを後にするときの美しい身のこなし。きれいで思いやりのある言葉づかい。

不意に、あのスイートルームの扉はクラシックなエレベーター、フィービーはエレベーターガールのようにも見えてドキッとする。もしかしてフィービーって、未来から来た家族館のパビリオンガールか何かだったんだろうか。

いや、待って。そもそもこのお話は、リースの見た夢だったんじゃ? それとも、ジュリアンの読み聞かせ? だから「おやすみなさい」で終わるの? みんなが闇の中に消えていくの?

戯曲に書かれていないそんな想像まで始めてしまい、まだまだまとまりそうにない。ともかく今はこのひと言を、「おやすみなさい」を…。

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あんたすごく悪い子なんだって?*『扉の向こう側』(3)

「あんた、すっごい悪い子なんだって? 駄目よ、隠したって。あんたはとっても悪い子。そうでしょ?」

「……すぐいい子にしてあげる。さあ、言われた通りにするの。このプーペイ様が叩き直してあげる」

登場して間もなく、プーペイはジュリアンにこう話す。

SM女王様としての、職業的な決まりのセリフなのだけれど、まさにこのセリフがこの物語の結末を示している。『扉の向こう側』は、悪い子のジュリアンが、女王様たちからお仕置きを食らうお話――寓話でもあるのだ。

話がちょっと込み入っているのは、その悪い男(名前は、ジュリアン・「グッドマン」)もまた、不幸な子供だったということだ。フィービーだけじゃない、ジュリアンもまた、不幸な子供だった。『扉の向こう側』は、二人の不幸な子供のお話だともいえる。フィービーとジュリアンの二人は、人から愛されること、人を愛すること、そして自分を愛することも教えてもらえなかった子供なのだ。

ジュリアンは、ミソジニア的な傾向を持つ大人になった。『赤と黒』のジュリアン・ソレルよろしく、とても野心的に、様々なことを学んでいったのだと思う。知惠とバイオレンスを駆使して、ビジネスの世界でのし上がってきた。リースのことは、父親のように、兄弟のように、自分のように愛していたのかもしれない。

フィービーは、大らかで快活だけれども、後天的ないくつかの出来事によって、傷つくことを恐れている。人から痛めつけられ、踏みにじられながら、なんとか踏ん張って生きてきたのだと思う。SMの女王様をやっているのは、傷つけられたくないという深層心理によるのかもしれない。

最初、ジュリアンとフィービーは兄妹だったという「タカラヅカ読み」をしてみた。ジュリアンとフィービーをアポロンとアルテミスに見立てて。『ライブ麦畑でつかまえて』のホールデンとフィービーをちょっとだけ意識して。

それもなかなかよかったのだけれど、何かが足りない気がしていて、そうだ、年齢的には父と娘じゃないか(そして母と息子でもある)と考えたら、それがピタリとハマった。

ジュリアンは母親を、フィービーはそれと知らずに父親を殺す。そして、ジュリアンはフィービーの罪を背負って、この世界から落ちていく。怪物のような親を闇に葬ることで、フィービーは初めて自分らしく生きていけるようになる。

フィービーは、ずっと求めていた家族を見つけ、ジュリアンも、フィービーを介して愛したリースと家族になる。いや、リースになったのかもしれない。そのリースだって、娘をうまく愛さなかったのが嘘みたいに、いま、こんなにも妻や娘を愛している。

『扉の向こう側』は、ジュリアンとフィービー、みんなが家族を見つける物語でもあるのだ。

家族は、血のつながりによってのみ作られるものではない。家族とは、自分で作り上げるもの。フィービー、ルエラ、ジェシカ。リース、ジュリアン、ハロルドも。多少込み入っているけれど(笑)、この6人は、家族なのだと思う。時代を超えたホテルという家に住む――。

すてきなのは、フィービーが最後に2036年の世界に戻ってきたときに、運命が変わっていること。そして、もっとすてきなのは、この瞬間のフィービーが、パラレルな世界を一つに束ねたような存在(「超フィービー」?)だということだ。

この魔法の時間に、こうだったかもしれないすべての自分を、すべての時代、世界で出会った人たちを、フィービーはすべて受け止めている。戯曲に書かれているのではない。フィービーを演じた壮一帆の演技が、そう語っていた。

「ありがとう」の言葉は、ルエラにだけ向けられたものではないと思う。ジュリアンに、リースに、ジェシカに、ハロルドに、そして過去の自分プーペイに。いま、生きてここにいる自分自身に向けられたものだ。

でも、この「ありがとう」は、「さようなら」を意味することでもあるから、観ている私たちは否応なしに、胸の奥をぎゅうっと締め付けられるようなる。でもそれは、幼い頃にお父さんやお母さんに抱きしめられたときの、甘く懐かしい気分にも似ていて、まもなく終わろうとしている「超フィービー」の時間を思って、泣きたい気持ちになりながら、そのお別れのときを迎える。

灯りを消して、扉の向こう側の世界へ。ほんの少しだけ名残惜しそうに、でも、迷いなく、フィービーは歩き出す――

……そんなふうに考えると、カーテンコールの後にサプライズで用意された、6人による「歌のプレゼント」はとってもいい。とてもとても心に響く。

壮一帆さんはこのおまけの時間を「皇室アルバム」風と表現して、あまりの壮さんらしさに笑ったけれど、わたしはやっぱり、どこかの誰かが言ったように「ファミリー・コンサート」でもあると思う。

この6人の家族写真が、ファミリー・アルバムの最後に収められるのは本当にうれしくすてきなことだ。

 

 

何があたしたちを繋げているの?*『扉の向こう側』(2)

ただいま絶賛上演中の『扉の向こう側』について、思いつくままに。

決定的なネタバレはしないように気を付けているけれど、細部のネタバレはあると思います。どうか、ご容赦を。

*        *        *

『扉の向こう側』の何がすごいって、やっぱりキャストだと思うんです。

出演はこの6名。壮 一帆、紺野 まひる、岸 祐二、泉見 洋平、吉原 光夫、一路 真輝

女性三人がタッグを組んで、自分たちの運命を変えるというお話なので、男優さんたちのことはまた改めて書くとして、きょうは、雪組三人娘について ^ ^

『扉の向こう側』公式サイト

このお芝居の中心になっているのが、1996年―2016年―2036年と、それぞれの時代に生きる女たちが、三つの時代を戻りながら、その原因となっている悪い男をやっつけて、自ら自分たちの運命を変えてしまうというプロット。

好きなんですよ、そういうお話。映画でいうなら『テルマ&ルイーズ』とか、『黙秘』も好きだったなあ。あ、『シカゴ』もそうですね。『マッドマックス怒りのデスロード』なんかも見方によっては。

とにかくそんな、胸がすくような女三人の物語を、時代は違うけれど、雪組でトップスターをつとめた、一路 真輝さん、紺野 まひるさん、壮 一帆が演じるのです。もう、それだけで、「よくぞキャスティングしてくれました!」と、三方礼をしたいくらい。

キャスティングしてくれた方は、この三人のつながりをご存じだったのでしょうか?

  • いちばんの年上でしっかり者として登場するルエラをイチロさん。
  • ちょっと軽いところがある金持ち娘のジェシカをまひるちゃん。
  • ガラが悪く乱暴なのに、情があって、困った人を放っておけない、20年後にSMの女王様のお仕事をしているプーペイ/フィービーを壮さん。

これが、きっちりとした翻訳劇なのに、アテガキかと思うくらい、見事にハマッてる。

きのう(11月19日)の雪組三人娘トークでも、絶妙のトリデンテぶりを発揮していたけど、この三人だから、アテガキかと思わせるレベルにまでなったのじゃないかなあ。

イチロさんのルエラが、賢くて、勇気があって、正義感にあふれていて、司令塔的な役割をするのですが、イチロさんが素晴らしいのは、かわいくて、どこかほっとするような、あたたかく全体を包み込む力を振りまいているところ。ルエラって、例えばアメリカ映画だったら、スーザン・サランドンとかグレン・クローズなんかがたくましく演じちゃうんだろうけど、イチロさんにかかると、ボケの魔法がかかるというか(もちろん褒めています)、ほかの誰にも真似できないような魅力を持ったルエラになる。ほんと、あたたかくて、かわいいの(二度言った)。

まひるちゃんのルエラは、久しぶりの舞台で不安でたまらなかったなんて思えないほど、ちょっとノーテンキなお嬢さまミセスをチャーミングに演じている。若いリースとのバカップルぶりは最高だし、黒衣の女になって出てくるところのホラーの女王っぷり。うまい! マンガに描いたような美女だからかなあ、梅図先生の作品に出てきそうな…。とはいえ、ルエラがジェシカのことを「彼女って、男を殺人に走らせるタイプ」というとき、いつも宝塚時代の『アンナ・カレーニカ』を思い出します。ファムファタールを演じられる華と演技力とを備えた素晴らしい女優さんなのです。

イチロさんとまひるちゃんだから、壮さんも安心して、フィービー/プーペイとして、のびのびのびのび演じているんだと思う。サッカーのポジションに例えると、イチロさんのルエラが司令塔的ミッドフィルダーなら、まひるちゃんがサイドアタッカー、壮さんがフォワードかな。元雪組のトリデンテ。

個人的に笑ってしまうのが、ルエラの救出劇です。ジェシカとフィービーがものすごい力を振り絞るところ、宝塚大運動会の綱引きを思い出して、毎回クスッとなる。あの、「優勝しなくてもいいから綱引きには勝て」と、代々厳命されているという雪組伝統の綱引き。ルエラが応援団に回っているところもらしいなあと。ベッドカバーの色も雪組カラーの緑色に見えるし。

宝塚時代――イチロさんは、まひるちゃんと壮さんが初舞台を踏んだときのトップスターでした。そのイチロさんの最後の作品が、伝説の『エリザベート』。まひるちゃんは雪組に配属され、『追憶のバルセロナ』でトップ娘役として退団。そのときには壮さんは雪組にいて、同期生として見送った。宝塚大劇場千穐楽での壮さんの泣き顔は忘れられません。壮さんは、初舞台後に配属されたのは花組だったけれど、雪花間をワープしながら、最後は雪組のトップスターとして『一夢庵風流記 前田慶次』で退団。

――とまあ、不思議なご縁ではあります。

だからというつもりはないけれど、その三人が出会う2016年の場面は何度見ても、楽しくって、あたたかい気持ちになる。あの場面が、ある意味でこのお話のラストシーンなんだと思う。

「乾杯しましょう。生きてることに」「生きてることに」

三人でシャンパングラスを合わせるときの幸福感。

この場面でのフィービーとジェシカのセリフのない戦いも、素の壮さんとまひるちゃんを感じさせて、楽しい見どころに仕上がっています(フィービーの反応!)。

「何があたしたちを繋げているの? ジュリアン?」

劇中、ことの次第を理解しようとして、ルエラはこう言うのだけど、最後に、実はルエラだったと気づくことになる。いえ、フィービーでもあるのだけれど。一周回って、確かにジュリアンだったともいえるんだけど。

それはまた別の話になりそう。ともかくここでは、雪組が三人をつなげているということで。

すてきな雪組OGトリデンテに乾杯!

 

 

ドアの向こうにあるものは*『扉の向こう側』(1)


11月11日(金)に兵庫県立芸術文化センターの「初日おめでとう」を言ったばかりなのに、もう公演が終わってしまった。

早い。早すぎる。

この芝居は進むのがとても早い。舞台上でも60年間なんて、あっという間。

笑って、泣いて、ほろ苦さを残しつつも、でもやっぱり観た後はハッピーな気分になる。

そして、一度観てしまったら、また観たくなって、観るほどに、壮一帆さんと、キャストの方々が好きになっていって(いつものことなんですけどね)、最後には、誰かとお酒を飲みたくなる(笑)。

簡単に言うと、最高に面白いってことか。本当によかったです、壮さん初の翻訳劇にしてストレートプレイが、こんなに面白い作品で。

 ここまでのことを少し振り返ってみよう。初日の数カ月前から、演劇雑誌、twitter、公式ブログなどから情報が届けられていった。

  • 一路さん、まひるちゃん、壮さんの元雪組三人娘のトークの記事
  • 壮一帆さんの単独インタビューの記事
  • 壮一帆さん、金髪ご披露! ショートボブ!
  • 共演の吉原光夫さんのニコ生番組に、岸祐二さんと壮さんが出演
  • お稽古場情報が続々!
  • 壮さんからのお手紙が届く!(FCメンバーズページ)

これらから分かっていたのは、

  • コメディである
  • 壮さんが演じるのはSMクイーン。そのお仕事のコスチュームがすごいことになっている
  • 壮さんのセリフが多くて出ずっぱり
  • 一路さんとまひるちゃんとは結託し、岸さんは本物の悪人で、吉川さんにはタックルされちゃう…
  • 壮さんにとって初のストプレにして、初の翻訳劇。つまり、セリフいっぱい
  • ミュージカル界きっての歌える役者さんたちが「歌」を封印!
  • でも、ちょっとだけ、オマケで歌がある?

といったようなことくらいだったかな。

実はこの戯曲、「ドアの向こうは」というタイトルで、『アラン・エイクボーン戯曲集』に入っていて、上演が決まって間もない頃に、ほんのさわりだけ読んでみたのです。

でも、すぐに本を閉じることになった。少し読んだだけで、脳に司令が走ったの。「これ以上読んではいけない」と(笑)。読まずに観たほうが楽しいという話も聞いたので、「観てから読む」案件と決め、そのままの状態で初日に臨みました。

正解だった。

いやあ、面白かったー! イギリスの劇作家らしく、最初はつかみどころのない感じなんだけど、じわじわと面白くなってきて、いろんな角度から楽しめ、考えられるお話になっているのがさすがだなと。

それに、なんといっても壮一帆さんですよ! 壮さん演ずるプーペイ/フィービーが、すごーくチャーミングで、ひと目で大好きになってしまった。

お仕事は売春婦ですが、ピンチヒッターで呼ばれちゃったSMクイーンだというところがキモで、日本の演劇や映画によく出てくる、情念、情欲、不幸をかたちにしたような、暗く生々しい存在ではありません(笑)。

アラン・エイクボーンさんという英国の劇作家による戯曲なのだから、当然といえば当然なのだけど、外国のコメディ映画に登場する、明るく屈託のない、一人で強く生きてる娼婦の雰囲気がよく出てるの。

「健康的なSMクイーン」っていう、よく考えるとおかしな設定になったのは、壮さんだからかな(笑)。これがもうれつにかわいくて。劇中のセリフから想像すると、相当にハードな人生を送っているんですよ。なのに、このフィービーという女の子が、はすっぱで口の利き方なんかなっちゃいないんだけど(笑)、いたいけな少女みたいな一面もあって。カラッとしていてドライのようだけど、実は情があってかわいい(やっぱり壮さんっぽいな)。もう、見れば見るほどに好きになっていってしまう。

最初(初日)はちょっとおっかなびっくり。でも始まれば、ぐんぐんぐんと力が湧いてくる。劇中のフィービーの特性がまた、まんま壮さん。

危険きわまりない。

衣装も、コートA、スペシャルな仕事着、コートB、バスローブ、ワンピースA、ワンピースBと、七変化くらいあって、どれもめちゃくちゃ似合ってます。バービーみたいなフィービー人形を作ってもらいたいくらい。あの金髪も、壮さんの地毛に違いないというくらいぴったりです(笑)。

「すべての女の子は、どんなものにもなれる可能性を持っている」

ヒラリーさんが女の子たちに向けたメッセージが感動的だったけど、『扉の向こう側』にも、そんなメッセージが込められていると思う。個人的には、フィービーという名前からは、『ライ麦畑でつかまえて』のフィービーを思い出してしまう。

もちろんそれだけじゃなくて、女たちの共同体についての話でもあるし、ジュリアンとフィービーという不幸な二人の子供の話でもあるし、男同志の愛の話でも、暴力についての話でも、疑似家族の話でも、ホテルの話でも、パラレルワールドの話でもある。

つまり、いろんな世界へ抜けられるドアが劇中にたくさん仕込んであるの。面白がれないはずがない。

おまけに、かーわいいカーテンコールまでついているんですよ! 歌わないはずのあの人たちが、役を引きずりながらちょっと気まずそうに(笑)、でもみんななかよく、最後にすてきな贈り物を届けてくれる。

東京公演の初日の開幕時間が近づいているので、ここでこちらも閉めますが、また、いろんなドアを開けながら、感想を書いて行きたいと思います。

ともあれ、『扉の向こう側』東京公演初日です。このあとすぐ、18時30分からです。おめでとうございます!

かもしれない壮一帆

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壮一帆さんのテレビドラマデビューは無事に終了しました。

バカリズム脚本の「かもしれない女優たち」シリーズの第二弾で、今回は、広末涼子、井川遥、斉藤由貴という三女優が、こうだったかもしれないパラレルワールドを見せてくれる企画もののドラマ。単発だけれども「月9」!

前回も評判になったらしいこのドラマに、壮さんが出演すると知って色めき立った。

なんせ、事前情報といえば、『かもしれない女優たち2016』に出演するということだけ(笑)。死体役なのか、出オチ的な役なのか、ザ・宝塚の男役スターな役なのか、スナックのママさん役なのか、もう、まったく予想がつかず、加えて、初めてのドラマ出演ということで、壮さんはちゃんと演技できているのだろうかと、ご本人にしたらそれこそ余計なお世話な心配までして、当日の放送に臨んだのでした。

今にして思えば、ちょっとしたサプライズというかシークレット気味にしておいて、壮さんは一人、楽しんでいたのかもしれません(笑)。実際、こんなところで出てくるよー的なことを知っていたら面白さ半減だったし。

いやー、スリルとサスペンスとラブリーがありました。いつもハラハラとドキドキをありがとう(笑)。

さて、そのドラマデビューですが、想像以上に楽しいものでした。

もちろんタイトルロールではありませんが、小原木玲奈というちょっと勘違いした女優/ドラマのエキストラとして、広末涼子さん、井川遥さんとお芝居しているというだけで(エキストラじゃなかった。よかった(笑))、冷静になろうとしてもテンションが上ってしまう(笑)。

ヒロスエさんのパラレルワールドでは、性格悪いやさぐれたエキストラ仲間として。井川遥さんのパートでは、いけ好かない大河女優、小原木玲奈として。この二つの役を演じたのだけど、どっちも「小原木玲奈」なのかな。

壮一帆さんを知る者には、小原木玲奈という名前といい行動といい、本人のイメージとはまったくかけ離れたもので、そこがめちゃくちゃツボでした。

カフェに運ばれてきたパンケーキを見て、「かわいいー」と言いつつ、スマホでカシャリ。すかさずSNSする小原木玲奈ちゃん。

イガワハルカさんがブログ(登録者15人)にアップしたヒロスエさんのおそうじ本を「面白そう」と言って、(ねえ、これ、インスタしていい?」と言って、その場でアップする小原木玲奈ちゃん。フォロワー数2万人。

イガワハルカさんの彼の話に、「それ、絶対二股かけてるよおおお」と、心配してる振りして問題起こそうとする小原木玲奈ちゃん。

小原木玲奈。絶対ともだちになりたくない女(笑)。

そんな「小原木玲奈」になっている壮一帆さんを見ているのが愉快で仕方なかった。私たちが知っている壮一帆さんとぜんっぜん違うから(笑)。

ヒロスエさんを置き去りにしてさっさと帰ってしまうやさぐれたエキストラの(壮一帆)さんを見て、『エドウィン・ドルード』で、「もう、こんなのやってられへんわ」と関西弁でキレて帰ってしまう女優・壮一帆さんが頭をよぎったり、キレ芸をしてる井川遥さんを見て、こういうの、やっぱり難しいんだな、壮さんもキレ芸してたな、なんて思ったりはしましたが。

(そういえば、『エドウィン・ドルード』も、壮一帆さんが演じる「壮一帆」の場面がありました。小原木玲奈の布石?)

ともかく、小原木玲奈は、あまりにも私たちが知っている壮さんとイメージが違っていたので、そして、架空の女性ファッション雑誌のモデルなんかもやったりしていて、それがなかなかサマになってもいて、とはいっても「絶対ともだちになりたくない女・小原木玲奈」なのに、それがだんだんかわいく思えてきているという不思議な現象の中にいます(笑)。

最後のタイトルバックに出てくる、壮一帆さんの笑顔がめちゃくちゃチャーミングで、あのラブリー女優ショットで救われたというのもありますが ^ ^

でも、なかなか自然な感じでドラマ・デビューができたのではないかと。個人的には、こういう、小劇場や舞台の役者さんが配されるようなポジが大好きなので、また、こういうのに出てくれたらいいなあ。

とりあえず、「かもしれない女優たち」シリーズの第三弾があったら、また小原木玲奈を!

あの女優が、もしかしたら「こうだったかもしれない」パラレルワールドを見せてくれる「かもしれない女優たち」シリーズ。小原木玲奈は、壮さんにとっても「かもしれない壮一帆」だったってことでしょうか。

いや、絶対ないと思うけど。面白かったなあ、壮さんの小原木玲奈。

インスタやTwitterを開くたびに、小原木玲奈を検索してしまう今日このごろです(笑)。

(でも、結局ドラマのキーパーソンというか、小原木玲奈ちゃんの行動から、ドラマも展開していったのだから、何かすごい力を秘めているかもしれません、小原木玲奈(笑))

Till we meet again. SO CLUB Fan Meeting 2016

2016.9.19


壮一帆さんのファンミーティングに行ってまいりました。

タカラヅカを卒業して二度目。去年は大阪でもあったから三度目なのかな。

楽しかった-。そうなのかーと思った新事実あり、笑いあり、めちゃくちゃあり(笑)、ぐっときたことありと、盛りだくさんな内容で、しみじみ、ふくふくと楽しかった。

現役時代とは違うことに、壮さん自身もだけど、わたしたちファンも慣れてきたのかもしれない。壮さんも、探りさぐりだったであろう退団後の激闘の日々がやっと落ち着いて、自分の居場所を築きつつあるのかも。

ほんと、分かりやすい人です(笑)。

壮さんはいつだって、そのときどきの状況を、言葉で説明してくれようとするけれど、それ以上に、表情や口調、雰囲気で、そのときのコンディションがはっきりと見て取れる(笑)。

この間は、『Dramatic Musical Collection 2016』のゲスト出演を終えた翌日ということもあって、スイッチが入ったまんまだったというのもあるのかもしれないけど、本当に楽しそうで、迷いがなく、心を開いて私たちの目の前に現れてくれた。そのことが本当にうれしい。

壮さんを見ていると、卒業したタカラジェンヌというのもなかなかおもしろい存在だと思う(笑)。

壮一帆という人の根っこの部分は変わらないのだけど、ほどよくいろんなものが抜けて、とても自然。きわめてナチュラル(同じこと言いました(笑))。女性扱いされることにもやっと慣れてきたみたいだし(笑)、外の世界の舞台での、自分の居方みたいなものも分かってきたのかもしれない。

ファンとの接し方もそうなんだろうな。壮さんは飾らない人だから、タカラヅカ時代だって、たぶん、ほかのジェンヌさんたちとは違った、壮さんらしいやり方で接してくれていたけど、それでも「タカラジェンヌ」であるという縛りは大きいものだったと想像する。

タカラヅカのファンって、宝塚歌劇を愛するあまり、知らず知らずのうちに、タカラヅカ時代が最良のときで、卒業したらそれ以上の輝きは得られないと思い込んでいるようなところがあるのだけど、それは錯覚だったと今は思う(笑)。

もちろん、あのタカラヅカでの日々があってのいまなんだけれど。

家族でも友人でもタカラヅカの仲間でもない、でも、ちょっと危ういけれども、親しく、やさしい愛に満ちた素敵な関係のわたしたち。そしてそれは、お互い望みさえすれば、ずっと続いていくかもしれない…。そんな、ゆるやかだけども強い関係性を、とても心地よく感じます。

ベタな例えで恐縮ですが、タカラヅカ時代は、ある意味「恋の相手」のようなミステリアス(笑)な存在だったのが、今は「結婚相手」か「姉妹」か「パートナー」的存在にちょっと近づいたような。

(朝方、もっとドンピシャな例えを思いついたのに。忘れた(笑))

まあ、タカラヅカ界隈には、錯覚だと知りながら、あえて乗っかって楽しんでいる大人のファン、あるいはプロのファンの方々はたくさんいらっしゃると思うのですが。実際、そういう心づもりでもなければ、持続不可能な時間であったと本当に思う。

二年前のフェアウェルお食事会での問題発言? について、フォローしてくれたところも壮さんらしいなと思った ^ ^ その後の反響がすごかったんだろうな(笑)。というか、壮さん自身が、言葉が足りなかったことをずっと気にしていたのかも。

わたしは、「私はもうタカラヅカにはいないから、タカラヅカを観るときは、ヘンに気にせず、お気に入りを見つけて楽しんでね」くらいに受け止めていたけど、確かに言ってるときの壮さんの顔はマジでこわかった(笑)。

まあ、あのときは、いろいろ準備ができていなかったのでしょう。いまでは、楽しい思い出です(笑)。

「私のことを忘れて、誰か新しい人を見つけてなんて言った覚えはない(笑)。好きな人や興味のあるものはたくさんいたって当然だし、タカラヅカも楽しんでほしい。でも、私のことも忘れないで、ずっと観ていてくれたらうれしい」(超訳)って、ちゃんと笑わせながら、「これからも長いおつきあいをよろしく」と改めて言ってくれているみたいで、会場が一気に、危機を乗り越えた結婚五年目の夫婦の会話みたいになっていたのが面白かったです(笑)。

だからホントに、壮一帆さんのことを、皆さまよろしくお願いします(誰目線? 一介のファンです)。

あ、新しくファンになった方もウェルカムな雰囲気ですよ。実際、そんなのそれぞれの心の中にあるだけで、外から見たらみんな一緒だと思うし。新しいファンの方がたくさんいると、その場所がある種華やいだ雰囲気になって、わたしは好きです。

ふふ。しみじみ、危うくって心地いい関係だと思います。壮さんとわたしたち。

タカラヅカを卒業したOGは、年々増えていっている現在。芸能のお仕事をあえて選ばない人もいるし、結婚して家庭に入る人もいる。芸能活動を続けている人も、いろんな活動の仕方があり、いろんなキャラ付けをしたりするのを見ると、みんな自分の歩き方を見つけていくのに苦労しているんだろうなと思う。

今回のFMでは、壮さんが好きな役者さんの話が出て、それを聞いて、芝居で壮さんの目指しているところがちょっと見えた気がしてうれしくなった。

卒業後に舞台に立って、勉強になったのは、村井國夫さん。力を抜いて、何気なく言っているのにちゃんと伝わるセリフがすごい。『Honganji』では、市川九團次さんと陣内孝則さんの二人の場面がすごくて、いつも袖に張り付いて見ていた。

最近観た舞台で好きだなあ、あんなふうになりたいと思った俳優は、秋山菜津子さんと宮沢りえさん。柄本明さんのひょうひょうとした演技がすごい。若手では、『海月姫』にも出ていた菅田将暉さんがいろいろ面白い。

うんうんうん、わかるわかる…。壮さんが目指している芝居。役者。

すぐにできるものでもないけれど、だんだんと、そういう方向に行ってくれたらいいなあ。それには、キューブという事務所は、とてもいい環境なんじゃないだろうかと、一体何目線なの? と、どこかで誰かに突っ込まれそうなことまで考えている(笑)。

やー、楽しいね。

明日のことなんか誰にもわからないけれど、これからもなかなかにスリリングな日々になると思うけれど、こんな気持ちで、舞台やいろんな場所で、壮さんの姿をずっと見て行けたらいいなと思う。

いつだったかのブログに、わたしたちは同じ船に乗っているのだと書いたことがあったけれど、今もそんな気持ち。

一つの舞台が終わり、楽屋を後にする壮さんをお見送りするときに、「また会いましょう」と言ってくれるのがうれしい。

Till we meet again. また会いましょう

あ。ファンミーティングでの面白かったこと、全然書けなかった(笑)。余裕があったらまた書きます。

2014 夏の終わりの三日間

日付は変わってしまったけど、きょうは8月31日。壮一帆さんが、タカラヅカを退団した日でした。

なぜか思い出すのは、壮さんのお花がきれいだったこと。

特別な花ではない。見る人によってよっては地味だと感じたかもしれない。でも、誰の花束にも似ていない、白いきれいなお花。

見た瞬間に、すごくそうさんっぽいと思って、うれしくなったんだった。

全然無理しなくて、いってみれば、いまの壮一帆さんが持っていても似合うようなブーケなの。

それは壮さんのお母さまが選んだものだと知ったときに、本当にあたたかい気持ちになりました。

真っ白に染まらないパレードも、素敵だったなあ、そうさんらしかったなあと、二年がたった今でも思える。

この記念の日が、まるでお盆みたいな感覚で、楽しいメモリアルみたいになっているのも、そうさんの心づくしのおかげかもしれない。

退団二周年、おめでとうございます。

フリカエールで、あの三日間のツイートを引っ張り出してみたら、自分の言葉なのに、きゅんとしてしまった(笑)。宝石のような夏を思い出して。

また来年。

 

*2014年、8月最後の三日間 (夏のバーゲンのキャッチフレーズか(笑))