何があたしたちを繋げているの?*『扉の向こう側』(2)

ただいま絶賛上演中の『扉の向こう側』について、思いつくままに。

決定的なネタバレはしないように気を付けているけれど、細部のネタバレはあると思います。どうか、ご容赦を。

*        *        *

『扉の向こう側』の何がすごいって、やっぱりキャストだと思うんです。

出演はこの6名。壮 一帆、紺野 まひる、岸 祐二、泉見 洋平、吉原 光夫、一路 真輝

女性三人がタッグを組んで、自分たちの運命を変えるというお話なので、男優さんたちのことはまた改めて書くとして、きょうは、雪組三人娘について ^ ^

『扉の向こう側』公式サイト

このお芝居の中心になっているのが、1996年―2016年―2036年と、それぞれの時代に生きる女たちが、三つの時代を戻りながら、その原因となっている悪い男をやっつけて、自ら自分たちの運命を変えてしまうというプロット。

好きなんですよ、そういうお話。映画でいうなら『テルマ&ルイーズ』とか、『黙秘』も好きだったなあ。あ、『シカゴ』もそうですね。『マッドマックス怒りのデスロード』なんかも見方によっては。

とにかくそんな、胸がすくような女三人の物語を、時代は違うけれど、雪組でトップスターをつとめた、一路 真輝さん、紺野 まひるさん、壮 一帆が演じるのです。もう、それだけで、「よくぞキャスティングしてくれました!」と、三方礼をしたいくらい。

キャスティングしてくれた方は、この三人のつながりをご存じだったのでしょうか?

  • いちばんの年上でしっかり者として登場するルエラをイチロさん。
  • ちょっと軽いところがある金持ち娘のジェシカをまひるちゃん。
  • ガラが悪く乱暴なのに、情があって、困った人を放っておけない、20年後にSMの女王様のお仕事をしているプーペイ/フィービーを壮さん。

これが、きっちりとした翻訳劇なのに、アテガキかと思うくらい、見事にハマッてる。

きのう(11月19日)の雪組三人娘トークでも、絶妙のトリデンテぶりを発揮していたけど、この三人だから、アテガキかと思わせるレベルにまでなったのじゃないかなあ。

イチロさんのルエラが、賢くて、勇気があって、正義感にあふれていて、司令塔的な役割をするのですが、イチロさんが素晴らしいのは、かわいくて、どこかほっとするような、あたたかく全体を包み込む力を振りまいているところ。ルエラって、例えばアメリカ映画だったら、スーザン・サランドンとかグレン・クローズなんかがたくましく演じちゃうんだろうけど、イチロさんにかかると、ボケの魔法がかかるというか(もちろん褒めています)、ほかの誰にも真似できないような魅力を持ったルエラになる。ほんと、あたたかくて、かわいいの(二度言った)。

まひるちゃんのルエラは、久しぶりの舞台で不安でたまらなかったなんて思えないほど、ちょっとノーテンキなお嬢さまミセスをチャーミングに演じている。若いリースとのバカップルぶりは最高だし、黒衣の女になって出てくるところのホラーの女王っぷり。うまい! マンガに描いたような美女だからかなあ、梅図先生の作品に出てきそうな…。とはいえ、ルエラがジェシカのことを「彼女って、男を殺人に走らせるタイプ」というとき、いつも宝塚時代の『アンナ・カレーニカ』を思い出します。ファムファタールを演じられる華と演技力とを備えた素晴らしい女優さんなのです。

イチロさんとまひるちゃんだから、壮さんも安心して、フィービー/プーペイとして、のびのびのびのび演じているんだと思う。サッカーのポジションに例えると、イチロさんのルエラが司令塔的ミッドフィルダーなら、まひるちゃんがサイドアタッカー、壮さんがフォワードかな。元雪組のトリデンテ。

個人的に笑ってしまうのが、ルエラの救出劇です。ジェシカとフィービーがものすごい力を振り絞るところ、宝塚大運動会の綱引きを思い出して、毎回クスッとなる。あの、「優勝しなくてもいいから綱引きには勝て」と、代々厳命されているという雪組伝統の綱引き。ルエラが応援団に回っているところもらしいなあと。ベッドカバーの色も雪組カラーの緑色に見えるし。

宝塚時代――イチロさんは、まひるちゃんと壮さんが初舞台を踏んだときのトップスターでした。そのイチロさんの最後の作品が、伝説の『エリザベート』。まひるちゃんは雪組に配属され、『追憶のバルセロナ』でトップ娘役として退団。そのときには壮さんは雪組にいて、同期生として見送った。宝塚大劇場千穐楽での壮さんの泣き顔は忘れられません。壮さんは、初舞台後に配属されたのは花組だったけれど、雪花間をワープしながら、最後は雪組のトップスターとして『一夢庵風流記 前田慶次』で退団。

――とまあ、不思議なご縁ではあります。

だからというつもりはないけれど、その三人が出会う2016年の場面は何度見ても、楽しくって、あたたかい気持ちになる。あの場面が、ある意味でこのお話のラストシーンなんだと思う。

「乾杯しましょう。生きてることに」「生きてることに」

三人でシャンパングラスを合わせるときの幸福感。

この場面でのフィービーとジェシカのセリフのない戦いも、素の壮さんとまひるちゃんを感じさせて、楽しい見どころに仕上がっています(フィービーの反応!)。

「何があたしたちを繋げているの? ジュリアン?」

劇中、ことの次第を理解しようとして、ルエラはこう言うのだけど、最後に、実はルエラだったと気づくことになる。いえ、フィービーでもあるのだけれど。一周回って、確かにジュリアンだったともいえるんだけど。

それはまた別の話になりそう。ともかくここでは、雪組が三人をつなげているということで。

すてきな雪組OGトリデンテに乾杯!

 

 

ドアの向こうにあるものは*『扉の向こう側』(1)


11月11日(金)に兵庫県立芸術文化センターの「初日おめでとう」を言ったばかりなのに、もう公演が終わってしまった。

早い。早すぎる。

この芝居は進むのがとても早い。舞台上でも60年間なんて、あっという間。

笑って、泣いて、ほろ苦さを残しつつも、でもやっぱり観た後はハッピーな気分になる。

そして、一度観てしまったら、また観たくなって、観るほどに、壮一帆さんと、キャストの方々が好きになっていって(いつものことなんですけどね)、最後には、誰かとお酒を飲みたくなる(笑)。

簡単に言うと、最高に面白いってことか。本当によかったです、壮さん初の翻訳劇にしてストレートプレイが、こんなに面白い作品で。

 ここまでのことを少し振り返ってみよう。初日の数カ月前から、演劇雑誌、twitter、公式ブログなどから情報が届けられていった。

  • 一路さん、まひるちゃん、壮さんの元雪組三人娘のトークの記事
  • 壮一帆さんの単独インタビューの記事
  • 壮一帆さん、金髪ご披露! ショートボブ!
  • 共演の吉原光夫さんのニコ生番組に、岸祐二さんと壮さんが出演
  • お稽古場情報が続々!
  • 壮さんからのお手紙が届く!(FCメンバーズページ)

これらから分かっていたのは、

  • コメディである
  • 壮さんが演じるのはSMクイーン。そのお仕事のコスチュームがすごいことになっている
  • 壮さんのセリフが多くて出ずっぱり
  • 一路さんとまひるちゃんとは結託し、岸さんは本物の悪人で、吉川さんにはタックルされちゃう…
  • 壮さんにとって初のストプレにして、初の翻訳劇。つまり、セリフいっぱい
  • ミュージカル界きっての歌える役者さんたちが「歌」を封印!
  • でも、ちょっとだけ、オマケで歌がある?

といったようなことくらいだったかな。

実はこの戯曲、「ドアの向こうは」というタイトルで、『アラン・エイクボーン戯曲集』に入っていて、上演が決まって間もない頃に、ほんのさわりだけ読んでみたのです。

でも、すぐに本を閉じることになった。少し読んだだけで、脳に司令が走ったの。「これ以上読んではいけない」と(笑)。読まずに観たほうが楽しいという話も聞いたので、「観てから読む」案件と決め、そのままの状態で初日に臨みました。

正解だった。

いやあ、面白かったー! イギリスの劇作家らしく、最初はつかみどころのない感じなんだけど、じわじわと面白くなってきて、いろんな角度から楽しめ、考えられるお話になっているのがさすがだなと。

それに、なんといっても壮一帆さんですよ! 壮さん演ずるプーペイ/フィービーが、すごーくチャーミングで、ひと目で大好きになってしまった。

お仕事は売春婦ですが、ピンチヒッターで呼ばれちゃったSMクイーンだというところがキモで、日本の演劇や映画によく出てくる、情念、情欲、不幸をかたちにしたような、暗く生々しい存在ではありません(笑)。

アラン・エイクボーンさんという英国の劇作家による戯曲なのだから、当然といえば当然なのだけど、外国のコメディ映画に登場する、明るく屈託のない、一人で強く生きてる娼婦の雰囲気がよく出てるの。

「健康的なSMクイーン」っていう、よく考えるとおかしな設定になったのは、壮さんだからかな(笑)。これがもうれつにかわいくて。劇中のセリフから想像すると、相当にハードな人生を送っているんですよ。なのに、このフィービーという女の子が、はすっぱで口の利き方なんかなっちゃいないんだけど(笑)、いたいけな少女みたいな一面もあって。カラッとしていてドライのようだけど、実は情があってかわいい(やっぱり壮さんっぽいな)。もう、見れば見るほどに好きになっていってしまう。

最初(初日)はちょっとおっかなびっくり。でも始まれば、ぐんぐんぐんと力が湧いてくる。劇中のフィービーの特性がまた、まんま壮さん。

危険きわまりない。

衣装も、コートA、スペシャルな仕事着、コートB、バスローブ、ワンピースA、ワンピースBと、七変化くらいあって、どれもめちゃくちゃ似合ってます。バービーみたいなフィービー人形を作ってもらいたいくらい。あの金髪も、壮さんの地毛に違いないというくらいぴったりです(笑)。

「すべての女の子は、どんなものにもなれる可能性を持っている」

ヒラリーさんが女の子たちに向けたメッセージが感動的だったけど、『扉の向こう側』にも、そんなメッセージが込められていると思う。個人的には、フィービーという名前からは、『ライ麦畑でつかまえて』のフィービーを思い出してしまう。

もちろんそれだけじゃなくて、女たちの共同体についての話でもあるし、ジュリアンとフィービーという不幸な二人の子供の話でもあるし、男同志の愛の話でも、暴力についての話でも、疑似家族の話でも、ホテルの話でも、パラレルワールドの話でもある。

つまり、いろんな世界へ抜けられるドアが劇中にたくさん仕込んであるの。面白がれないはずがない。

おまけに、かーわいいカーテンコールまでついているんですよ! 歌わないはずのあの人たちが、役を引きずりながらちょっと気まずそうに(笑)、でもみんななかよく、最後にすてきな贈り物を届けてくれる。

東京公演の初日の開幕時間が近づいているので、ここでこちらも閉めますが、また、いろんなドアを開けながら、感想を書いて行きたいと思います。

ともあれ、『扉の向こう側』東京公演初日です。このあとすぐ、18時30分からです。おめでとうございます!

かもしれない壮一帆

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壮一帆さんのテレビドラマデビューは無事に終了しました。

バカリズム脚本の「かもしれない女優たち」シリーズの第二弾で、今回は、広末涼子、井川遥、斉藤由貴という三女優が、こうだったかもしれないパラレルワールドを見せてくれる企画もののドラマ。単発だけれども「月9」!

前回も評判になったらしいこのドラマに、壮さんが出演すると知って色めき立った。

なんせ、事前情報といえば、『かもしれない女優たち2016』に出演するということだけ(笑)。死体役なのか、出オチ的な役なのか、ザ・宝塚の男役スターな役なのか、スナックのママさん役なのか、もう、まったく予想がつかず、加えて、初めてのドラマ出演ということで、壮さんはちゃんと演技できているのだろうかと、ご本人にしたらそれこそ余計なお世話な心配までして、当日の放送に臨んだのでした。

今にして思えば、ちょっとしたサプライズというかシークレット気味にしておいて、壮さんは一人、楽しんでいたのかもしれません(笑)。実際、こんなところで出てくるよー的なことを知っていたら面白さ半減だったし。

いやー、スリルとサスペンスとラブリーがありました。いつもハラハラとドキドキをありがとう(笑)。

さて、そのドラマデビューですが、想像以上に楽しいものでした。

もちろんタイトルロールではありませんが、小原木玲奈というちょっと勘違いした女優/ドラマのエキストラとして、広末涼子さん、井川遥さんとお芝居しているというだけで(エキストラじゃなかった。よかった(笑))、冷静になろうとしてもテンションが上ってしまう(笑)。

ヒロスエさんのパラレルワールドでは、性格悪いやさぐれたエキストラ仲間として。井川遥さんのパートでは、いけ好かない大河女優、小原木玲奈として。この二つの役を演じたのだけど、どっちも「小原木玲奈」なのかな。

壮一帆さんを知る者には、小原木玲奈という名前といい行動といい、本人のイメージとはまったくかけ離れたもので、そこがめちゃくちゃツボでした。

カフェに運ばれてきたパンケーキを見て、「かわいいー」と言いつつ、スマホでカシャリ。すかさずSNSする小原木玲奈ちゃん。

イガワハルカさんがブログ(登録者15人)にアップしたヒロスエさんのおそうじ本を「面白そう」と言って、(ねえ、これ、インスタしていい?」と言って、その場でアップする小原木玲奈ちゃん。フォロワー数2万人。

イガワハルカさんの彼の話に、「それ、絶対二股かけてるよおおお」と、心配してる振りして問題起こそうとする小原木玲奈ちゃん。

小原木玲奈。絶対ともだちになりたくない女(笑)。

そんな「小原木玲奈」になっている壮一帆さんを見ているのが愉快で仕方なかった。私たちが知っている壮一帆さんとぜんっぜん違うから(笑)。

ヒロスエさんを置き去りにしてさっさと帰ってしまうやさぐれたエキストラの(壮一帆)さんを見て、『エドウィン・ドルード』で、「もう、こんなのやってられへんわ」と関西弁でキレて帰ってしまう女優・壮一帆さんが頭をよぎったり、キレ芸をしてる井川遥さんを見て、こういうの、やっぱり難しいんだな、壮さんもキレ芸してたな、なんて思ったりはしましたが。

(そういえば、『エドウィン・ドルード』も、壮一帆さんが演じる「壮一帆」の場面がありました。小原木玲奈の布石?)

ともかく、小原木玲奈は、あまりにも私たちが知っている壮さんとイメージが違っていたので、そして、架空の女性ファッション雑誌のモデルなんかもやったりしていて、それがなかなかサマになってもいて、とはいっても「絶対ともだちになりたくない女・小原木玲奈」なのに、それがだんだんかわいく思えてきているという不思議な現象の中にいます(笑)。

最後のタイトルバックに出てくる、壮一帆さんの笑顔がめちゃくちゃチャーミングで、あのラブリー女優ショットで救われたというのもありますが ^ ^

でも、なかなか自然な感じでドラマ・デビューができたのではないかと。個人的には、こういう、小劇場や舞台の役者さんが配されるようなポジが大好きなので、また、こういうのに出てくれたらいいなあ。

とりあえず、「かもしれない女優たち」シリーズの第三弾があったら、また小原木玲奈を!

あの女優が、もしかしたら「こうだったかもしれない」パラレルワールドを見せてくれる「かもしれない女優たち」シリーズ。小原木玲奈は、壮さんにとっても「かもしれない壮一帆」だったってことでしょうか。

いや、絶対ないと思うけど。面白かったなあ、壮さんの小原木玲奈。

インスタやTwitterを開くたびに、小原木玲奈を検索してしまう今日このごろです(笑)。

(でも、結局ドラマのキーパーソンというか、小原木玲奈ちゃんの行動から、ドラマも展開していったのだから、何かすごい力を秘めているかもしれません、小原木玲奈(笑))

Till we meet again. SO CLUB Fan Meeting 2016

2016.9.19


壮一帆さんのファンミーティングに行ってまいりました。

タカラヅカを卒業して二度目。去年は大阪でもあったから三度目なのかな。

楽しかった-。そうなのかーと思った新事実あり、笑いあり、めちゃくちゃあり(笑)、ぐっときたことありと、盛りだくさんな内容で、しみじみ、ふくふくと楽しかった。

現役時代とは違うことに、壮さん自身もだけど、わたしたちファンも慣れてきたのかもしれない。壮さんも、探りさぐりだったであろう退団後の激闘の日々がやっと落ち着いて、自分の居場所を築きつつあるのかも。

ほんと、分かりやすい人です(笑)。

壮さんはいつだって、そのときどきの状況を、言葉で説明してくれようとするけれど、それ以上に、表情や口調、雰囲気で、そのときのコンディションがはっきりと見て取れる(笑)。

この間は、『Dramatic Musical Collection 2016』のゲスト出演を終えた翌日ということもあって、スイッチが入ったまんまだったというのもあるのかもしれないけど、本当に楽しそうで、迷いがなく、心を開いて私たちの目の前に現れてくれた。そのことが本当にうれしい。

壮さんを見ていると、卒業したタカラジェンヌというのもなかなかおもしろい存在だと思う(笑)。

壮一帆という人の根っこの部分は変わらないのだけど、ほどよくいろんなものが抜けて、とても自然。きわめてナチュラル(同じこと言いました(笑))。女性扱いされることにもやっと慣れてきたみたいだし(笑)、外の世界の舞台での、自分の居方みたいなものも分かってきたのかもしれない。

ファンとの接し方もそうなんだろうな。壮さんは飾らない人だから、タカラヅカ時代だって、たぶん、ほかのジェンヌさんたちとは違った、壮さんらしいやり方で接してくれていたけど、それでも「タカラジェンヌ」であるという縛りは大きいものだったと想像する。

タカラヅカのファンって、宝塚歌劇を愛するあまり、知らず知らずのうちに、タカラヅカ時代が最良のときで、卒業したらそれ以上の輝きは得られないと思い込んでいるようなところがあるのだけど、それは錯覚だったと今は思う(笑)。

もちろん、あのタカラヅカでの日々があってのいまなんだけれど。

家族でも友人でもタカラヅカの仲間でもない、でも、ちょっと危ういけれども、親しく、やさしい愛に満ちた素敵な関係のわたしたち。そしてそれは、お互い望みさえすれば、ずっと続いていくかもしれない…。そんな、ゆるやかだけども強い関係性を、とても心地よく感じます。

ベタな例えで恐縮ですが、タカラヅカ時代は、ある意味「恋の相手」のようなミステリアス(笑)な存在だったのが、今は「結婚相手」か「姉妹」か「パートナー」的存在にちょっと近づいたような。

(朝方、もっとドンピシャな例えを思いついたのに。忘れた(笑))

まあ、タカラヅカ界隈には、錯覚だと知りながら、あえて乗っかって楽しんでいる大人のファン、あるいはプロのファンの方々はたくさんいらっしゃると思うのですが。実際、そういう心づもりでもなければ、持続不可能な時間であったと本当に思う。

二年前のフェアウェルお食事会での問題発言? について、フォローしてくれたところも壮さんらしいなと思った ^ ^ その後の反響がすごかったんだろうな(笑)。というか、壮さん自身が、言葉が足りなかったことをずっと気にしていたのかも。

わたしは、「私はもうタカラヅカにはいないから、タカラヅカを観るときは、ヘンに気にせず、お気に入りを見つけて楽しんでね」くらいに受け止めていたけど、確かに言ってるときの壮さんの顔はマジでこわかった(笑)。

まあ、あのときは、いろいろ準備ができていなかったのでしょう。いまでは、楽しい思い出です(笑)。

「私のことを忘れて、誰か新しい人を見つけてなんて言った覚えはない(笑)。好きな人や興味のあるものはたくさんいたって当然だし、タカラヅカも楽しんでほしい。でも、私のことも忘れないで、ずっと観ていてくれたらうれしい」(超訳)って、ちゃんと笑わせながら、「これからも長いおつきあいをよろしく」と改めて言ってくれているみたいで、会場が一気に、危機を乗り越えた結婚五年目の夫婦の会話みたいになっていたのが面白かったです(笑)。

だからホントに、壮一帆さんのことを、皆さまよろしくお願いします(誰目線? 一介のファンです)。

あ、新しくファンになった方もウェルカムな雰囲気ですよ。実際、そんなのそれぞれの心の中にあるだけで、外から見たらみんな一緒だと思うし。新しいファンの方がたくさんいると、その場所がある種華やいだ雰囲気になって、わたしは好きです。

ふふ。しみじみ、危うくって心地いい関係だと思います。壮さんとわたしたち。

タカラヅカを卒業したOGは、年々増えていっている現在。芸能のお仕事をあえて選ばない人もいるし、結婚して家庭に入る人もいる。芸能活動を続けている人も、いろんな活動の仕方があり、いろんなキャラ付けをしたりするのを見ると、みんな自分の歩き方を見つけていくのに苦労しているんだろうなと思う。

今回のFMでは、壮さんが好きな役者さんの話が出て、それを聞いて、芝居で壮さんの目指しているところがちょっと見えた気がしてうれしくなった。

卒業後に舞台に立って、勉強になったのは、村井國夫さん。力を抜いて、何気なく言っているのにちゃんと伝わるセリフがすごい。『Honganji』では、市川九團次さんと陣内孝則さんの二人の場面がすごくて、いつも袖に張り付いて見ていた。

最近観た舞台で好きだなあ、あんなふうになりたいと思った俳優は、秋山菜津子さんと宮沢りえさん。柄本明さんのひょうひょうとした演技がすごい。若手では、『海月姫』にも出ていた菅田将暉さんがいろいろ面白い。

うんうんうん、わかるわかる…。壮さんが目指している芝居。役者。

すぐにできるものでもないけれど、だんだんと、そういう方向に行ってくれたらいいなあ。それには、キューブという事務所は、とてもいい環境なんじゃないだろうかと、一体何目線なの? と、どこかで誰かに突っ込まれそうなことまで考えている(笑)。

やー、楽しいね。

明日のことなんか誰にもわからないけれど、これからもなかなかにスリリングな日々になると思うけれど、こんな気持ちで、舞台やいろんな場所で、壮さんの姿をずっと見て行けたらいいなと思う。

いつだったかのブログに、わたしたちは同じ船に乗っているのだと書いたことがあったけれど、今もそんな気持ち。

一つの舞台が終わり、楽屋を後にする壮さんをお見送りするときに、「また会いましょう」と言ってくれるのがうれしい。

Till we meet again. また会いましょう

あ。ファンミーティングでの面白かったこと、全然書けなかった(笑)。余裕があったらまた書きます。

2014 夏の終わりの三日間

日付は変わってしまったけど、きょうは8月31日。壮一帆さんが、タカラヅカを退団した日でした。

なぜか思い出すのは、壮さんのお花がきれいだったこと。

特別な花ではない。見る人によってよっては地味だと感じたかもしれない。でも、誰の花束にも似ていない、白いきれいなお花。

見た瞬間に、すごくそうさんっぽいと思って、うれしくなったんだった。

全然無理しなくて、いってみれば、いまの壮一帆さんが持っていても似合うようなブーケなの。

それは壮さんのお母さまが選んだものだと知ったときに、本当にあたたかい気持ちになりました。

真っ白に染まらないパレードも、素敵だったなあ、そうさんらしかったなあと、二年がたった今でも思える。

この記念の日が、まるでお盆みたいな感覚で、楽しいメモリアルみたいになっているのも、そうさんの心づくしのおかげかもしれない。

退団二周年、おめでとうございます。

フリカエールで、あの三日間のツイートを引っ張り出してみたら、自分の言葉なのに、きゅんとしてしまった(笑)。宝石のような夏を思い出して。

また来年。

 

*2014年、8月最後の三日間 (夏のバーゲンのキャッチフレーズか(笑))

僧さんロスの日曜日*『Honganji リターンズ』

この夏後半の最大のイベント、『Honganji リターンズ』が終わりました。
壮さんも「舞台稽古からノンストップだったから充実している」と言っていたけど、本当に始まったと思ったら、あっという間に終わってしまって…。

すてきなカンパニーの皆さんがアップしてくださるツイートや舞台裏の写真を見ながら、「僧さんロス」の日曜日です。

顕如さま…。

自然に「さま」付けで呼んでしまうような、強さと慈愛が混在した「顕如」でした。

私は恥ずかしいくらいに日本の歴史にうとく、戦国時代も新撰組の時代も血なまぐさくて苦手だし、壮さんが「男性でも女性でもなく演じている」というようなことを言っていたのは知っていたのですが、顕如さんのこともざっくりとしか知らないままに初日の観劇を迎えてしまい、夏目雅子の三蔵法師のイメージに近かったこともあって、女性だとばかり思っていました。

まさか、史実では男性だとは思わなかった(笑)。ゲームのキャラなんかだと、けっこうマッチョな顕如さんがざくざく現れて、壮さんの顕如さまの美しさに、ほっと胸をなでおろしたりしていました(笑)。

そういえば、幕あいのお手洗いでこんな会話を耳にしたこともありました。

A「ねえねえ、あの三蔵法師みたいなきれいな人誰?」
B「ああ、あの人、タカラヅカのトップだった人みたいよ」
A「ああ、やっぱりねえ。すごく綺麗だった。顔なんか極小!」

ここまでしか聞けなかった(お行儀悪くてごめんなさい。ホントに聞こえてきたの)のですが、心のなかでもちろんガッツポーズ(笑)。

お顔の大きさだけではなく、セリフも動きも最小の部類でしたが、顕如は作品のテーマを体現するような役どころ。壮さんはそんな顕如を、セリフのない場面でも、信長と敵対する石山本願寺を束ねる顕如の大きさ、強さ、慈愛の心を表現していたと思います。

やっぱりタカラヅカ育ちなんですね。

『エドウィン・ドルードの謎』でも、中日劇場の舞台に立っているときがが、舞台の大きさといい劇場の持つ雰囲気といい、いちばんホーム感があって、自由に動けているように感じられたのですが、今度の明治座もそう。とても落ち着いて演じているように見えました。

この作品は、書かれていない部分を、中心にいる役者さんの持っているものや、キャストの方の小芝居やアクションで埋められることが期待されているというか、古いタカラヅカのオリジナル作品のような隙間が多かったのだけど、そういうのは壮さん、大得意だから。もう、ゆったり構えて観ていられました。

信長を演じた陣内孝則さん、平将門役の市川九團次さん、雑賀衆のリーダー孫一の諸星和己さんの三人が、それぞれのフィールドで極めてきた見せ方で圧倒していくようすを、本当にすごいなあと観ていたけど、私たちの壮一帆さんも負けてはいなかった。初演では水夏希さんが演じられ、わたしは未見ですが、あの顕如の神々しさは、男役を極めた役者だから出せるものだったと思います。

そうした存在感だけでなく、有無を言わせぬ美しさがまた、顕如の神々しさを引き立てていました。

閉じたまぶたと、数珠をからませた手、読経する低い声…!

タカラヅカ時代に演じた『スサノオ』の月読や、『オグリ!』の餓鬼阿弥を思い出したのだけど、この手の日本物の透明感のある役を演じたときの壮さんのハマり方って本当にスゴイと思います。

(どちらも木村信司先生ですね。外部で、壮さんに素敵な日本物ミュージカルをぜひ!)
そして、この作品の底に流れている「信じる力」「非戦」というテーマは、個人的にとても響いてきました。

戦国時代に、浄土真宗は石山本願寺を城のようにして、要塞都市を造っていて、そこを守るためには戦いも辞さなかったわけだけれど、信長に顕如だって民を苦しめているじゃないか、同じなんだよと言われ、考え始めるわけです。自分は、侵略や利害のために戦ってきたのではなく、守るために戦ってきたけれど、果たしてそれは正しかったのかと。守るための戦いというのが成立するのか。今までたくさんの犠牲者を出してしまったと…。

二幕の本願寺での場面は圧巻でした。

自分の心のなかの鬼に気づいたからこそ、のちに、執着していた石山本願寺を手放すこともできたのだし、本当の意味で、「人は皆平等です」と言えるようになったのかと。

一人の親としての思いが渦巻く中、信長の「石山本願寺領主、顕如さまのお帰りだ!」というひと言で、顕如となる瞬間。

エピローグも素晴らしかった。

本能寺で自害をした信長の元に、約束どおりに現れた顕如は、信長が握りしめていた剣を手から離させ、そっと下に置きます。タカラヅカの『NOBUNAGA』に敬意を表すならば、あの剣が「下天の夢」。それを手放した信長は、三郎としてこの世を去って行った。

顕如が亡くなったのは、信長の死後10年後だから(50歳だったそうです)、信じる心が見させた夢だったのかもしれません。

信じる力とは、戦いのための城を、剣を手放すこと? 戦わずに、花を胸に抱くこと?

顕如が抱えていた悩みは、戦争や核の保有が悪いことと理解しながらもやめられない、世界が抱えているものと同じ。顕如や信長は間違いに気づいたけれど、平将門だけは彷徨い続けるのです。この世から戦争がなくならない限り。

この作品を現代的にしていたのは、九團次さんの歌舞伎流アプローチによる平将門の呪怨だったと思います。九團次さんのパフォーマンスがあまりに素晴らしくて、歌舞伎で『エリザベート』とかできるんじゃないかなあなんて想像してしまい、なかなか楽しかったです。

初日に見たときには、ごく自然に女性に見えた壮さんの顕如。とてもやわらかく、女性的に見えた日もあったし、たおやかでりんとして見えた日もあったけれど、千穐楽には、もう女性だとも男性だとも思わず、ただただ、光にみちた仏像のような強くてやさしい方を眺めるばかりでした。

少し前に、禅のお坊さんとお話をする機会があり、キリスト教では、ジーザスだけが神だけれど、仏教では、一人一人がブッダになることを目指しているんですよと言われ、ハッとしたことを思い出しました。

舞台はフィクションだけれど、あの舞台で仏像を見ているようだと思ったのは間違いではなかったのかもしれません。あのときのわたしは、確かに信徒だったのだと思います。

信じる力が少しこわい(笑)。

セミの声で見る『若き日の唄は忘れじ』

山の日に、雪組中日劇場版『若き日の唄は忘れじ』(壮一帆主演)を観ました。

タカラヅカファンの方にはおなじみですが、藤沢周平さんの「蟬しぐれ」(文春文庫刊)の宝塚歌劇版で、初演は1994年、星組で紫苑ゆう、白城あやかのトップコンビが文四郎とふくを演じ、2013年には中日劇場で壮一帆、愛加あゆが演じました。二人のトップお披露目公演でした(その後、全国ツアーでも続演)。

なぜ今『若き日の唄は忘れじ』なのかというと、壮さんがファンクラブの会員に宛てて、ときどき気が向くと(笑)手書きのメッセージをアップしてくれるのですが、ちょうど、最新版の書き出しが、宝塚と東京ではセミの鳴き声が違うことに気づいたという話になっていて、ちょっとセミの鳴き声について調べているうちに、『若き日の唄は忘れじ』のセミはミンミンゼミだったなと思い、ちょうど季節もぴったりだし、よし、見てみようとなったわけです。

ディナー&トークショーでも、山形を旅したという話を聞いたばかり。山形の食べ物と風景が好きで、『若き日の唄は忘れじ』を見てから、いっそうその思いは募っていたのですが、壮さんに先越されちゃった(笑)。今年の夏はもう無理かもしれないけれど、山形を旅してみたいなあ。来年こそ。

ところで『若き日の唄は忘れじ』です。

これが、今見ると、とりわけ今の季節に見ると、とってもいいのです。夏のまっさかり、お盆の時期というのもあるし、「蟬しぐれ」が、若き日の恋を思い出すという物語なので、タカラヅカ時代の壮さんの思い出とリンクするし、お盆だし、いっそう胸に来る。

それに、『一夢庵風流記 前田慶次』もそうだったけど、改めて見ると、背景やふくの着物の柄、年中行事、鳥や虫、雨の音など、本当に繊細に季節を拾っていることにも気づきます。

そしてもちろん、壮さんの文四郎さんがすてき。近頃タカラヅカでは、何かと日本物が多く上演されているけれど(日本物だと、どこかから補助金でも出るんだろうか(笑))、こういう湿度のある、情感豊かな純日本物というと、やっぱり雪組の独壇場で、『若き日の唄は忘れじ』『心中・恋の大和路』『一夢庵風流記 前田慶次』『星逢一夜』と続く四作品はやはり素晴らしかったと、ちょっと得意になったりして…。素晴らしいのは雪組で、ファンのわたしが得意になる理由はまったくないんですけどね ^ ^

話がそれた。セミの話でした。

『若き日の唄は忘れじ』で最初にセミの声が聞こえるのは、七夕が過ぎて、文四郎の父が捕らえられ、その沙汰を聞きに龍興寺に行ったとき。

ミーンミンミンミンミン…

ミーンミンミンミンミン…

これはミンミンゼミです。父を心配する文四郎のドキドキ感をドラマチックに煽るように鳴いていました。

次が、父と対面し、何も言えなかったと、ちぎちゃん演ずる逸平に告げるせつない場面にもセミが鳴いていました。

カナカナカナカナカナ…

ヒグラシの鳴き声です。

折しもきょうは8月13日。七十二候の「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」にあたります(8月12日から16日まで)。ヒグラシという名前は、日暮れに鳴くことからつけられたもので、鳴くのは早朝と夕暮れ。日中は鳴かないそうです。

逸平さんと話したのも夕暮れ。文四郎のことを気づかって、でも、お勤めを終えて訪ねてくれたんだろうか、なんて考えたり。夏の終わりを感じさせるようなせつない鳴き声がしっくりくる。いい場面です。

昼過ぎの文四郎がたった一人、父の亡骸を運ぶ場面に鳴いていたのは…。

ジージージージージージー…

アブラゼミでしょうか。都心部ではクマゼミが優勢で、めっきり減ってしまったというけれど、文四郎さんたちのいた時代の山形だもの。

正午過ぎの焼け付くような日差しの中、あざけりの声が響き、早く運ばなくてはという文四郎の苛立ちを表現したような、ジリジリするようなうっぷんを感じさせた鳴き声でした。

そして、二十年後の夏。今は助左衛門を名乗る文四郎が、出家をするふくの逗留する湯宿を訪ねるラストシーン。二人の感情が静かに高まっていく場面で聞こえてきたのは、

カナカナカナカナカナ…

再びヒグラシの鳴き声でした。これがせつなかった。絶妙のタイミングで、鳴くのです。二人のこれまでの夏を惜しむように…。

原作である藤沢周平の小説も、この最終章は「蝉しぐれ」と名づけられていました。

《 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供の頃に住んだ矢場町や街のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。

馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た》

(藤沢周平「蝉しぐれ」より)

この余韻…。初演の脚本と演出を手がけた大関弘政先生は、この蝉の鳴き声も、ていねいに選んで、入れていかれたのだろうなあ。

見ている間も、セミの声には気づいていたつもりだったけど、改めて追ってみると、細やかな演出の妙に気づかされます。

日本物ってやっぱりいい。壮さんもこれから先、また藤沢周平の作品に出たりすることがあるだろうか。あるといいな。ううん、きっとあると思う。

考えてみると、日本の「お盆」の風習って面白いですね。死んだ祖先たちが帰って来て、盆踊りなんかしちゃうんだもの。メキシコの「死者の日」とか、面白いお祭りが世界にはたくさんあるけど、日本のお盆も面白すぎる。子供のころに、「お盆になると、死んだご先祖さん、おじいちゃんやおばあちゃんがみんな帰ってくるんだよ」と聞かされたときの衝撃を思い出しました(笑)。

来年のお盆も、また 『若き日の唄は忘れじ』を見よう。